タイの歴史

タイの歴史
タイの歴史

スコータイ王朝

1240年頃~1438年 仏暦1783年頃~1981年

クメール人勢力を駆遂し、現在のスコータイとシーサッチャナライ両都市を中心とした地域にタイ族初の統一国家が成立、タイ文字の制定や上座部仏教が国教となるスコータイは「幸福の夜明け」という意味。

アユタヤ王朝

1351年~1767年 仏暦1893年~2310年

アユタヤに都を移し、スコータイ王朝を滅ぼす

トンブリー王朝

1767年~1782年 仏暦2310年~2325年

当時タークの国主だったタークシン王は、1767年にビルマの侵攻をうけて廃墟となったアユタヤからビルマ軍を撃退し、同年トンブリー(現在のバンコクのチャオプラヤー川を挟んだ対岸)に住居を構えて王に即位

チャクリー王朝

1782年~現在 仏暦2325年~現在

チャオプラヤー・チャクリーはタークシン王の王位を剥奪して内乱を鎮めた後、チャオプラヤー川を挟んだトンブリーの対岸にあるラッタナコーシン島に新しい都を建設、ラーマ1世(在位1782–1809)として王に即位しました。これが現在も続くラッタナコーシン王朝(チャクリー王朝またはバンコク王朝とも呼ばれます)の始まりです

古代~タイ王国前身まで:

中国南部に住んでいたモン族がタイに南下してきたのが紀元前後。9世紀にはチャオプラヤー川流域に王国を形成したが、11~12世紀にはインドシナ半島中部を中心に分布しているクメール人によるアンコール王朝クメール帝国の支配下におかれた。

その後、中国南東部から南下してきたタイ族たちがタイ北部に小国家を形成しはじめる

 

1~6世紀 : タイ先住民族の王国フナン(扶南)が、タイ中央部で栄える

650年 : タイ族の最初の王国である「南紹」が、中国・雲南地域で成立(~902)

802年 : カンボジアにアンコール朝(クメール王国)成立(~1432)

13世紀 : インドシナ北部にタイ人諸国家が成立(~15世紀)

1238年 : スコータイ王国が成立(~1370)

 

王国創成期:

現在のスコータイにおいてタイ族がアンコール王朝を滅ぼすと、そこに「幸福の夜明け」と名付けられたタイ族による初の統一国家である『スコータイ王国』が誕生した。

優れた統率力をもつ第3代のラムカーへン⇒ラームカムーヘン王国の時代には領土を拡大し、また、クメール文字を元にしたタイ文字の制定やスリランカから伝わってきた上座部仏教を国教とするなど、現在のタイ王国の基盤が築かれた。

同じ頃、タイ北部にはメンライ王によって『ランナータイ王朝』が建国され、1558年にビルマの属国となるまで栄華を極めた。

1296年 : ランナタイ王国成立(~1558)

1317年 : スコータイのラームカムヘーン大王が没する

1351年 : アユタヤ王国が起こる(~1767)

1370年 : スコータイ王国がアユタヤ王国に併合される

 

 

 

入れ替わる王国~バンコクへ:

王の死とともに衰退したスコータイ王国は、1351年にすぐ隣のアユタヤにできた王国に吸収される。アユタヤ朝はクメール人の都市アンコールを滅ぼし、マレー半島にまで国土を広げていった。

またヨーロッパとの貿易もさかんで、1351年から1767年とタイ統一王朝として最も長い栄華を誇った。

その後、王が入れ替わりわずか15年のトンブリ王朝時代を経て、現代にも続くラッターナコーシン⇒チャクリー王朝へと移行。

バンコクに都が移された。

1782年 : チャクリ(ラーマ1世)即位、チャクリ・バンコク朝始まる 

 

近代~現代のタイへ:

バンコクを王都と定め、1782年に誕生したラッターナコーシン⇒チャクリー王朝は絶対君主制を確立し、歴代の王はラマの称号で呼ばれている。(現在の王はラマ9世)。

奴隷制度の廃止から始まり、近代国家としての途を歩み始めた王朝は、ラマ4世から6世の治世で欧米各国との条約の締結(この頃に外国から「シャム」と呼ばれるようになった)や郵便通信事業の開始、教育制度の整備や鉄道の建設などに取り組む。

ラマ5世の時代には周辺諸国が次々と欧州列強国に植民地化されるなか、政治手腕によって唯一独立を守り抜いた。

1767年 : ビルマに敗れ、アユタヤ朝は滅亡

1782年 : チャクリ(ラーマ1世)即位、チャクリ・バンコク朝始まる

 

絶対君主国から立憲君主国へ:

絶対君主国として成立したラッターナコーシン⇒チャクリー王朝。しかし世界恐慌にともないタイの経済状況も悪くなってくるにしたがい、国民の不満が高まって1932年にクーデターが起こる。

そして700年続いた絶対君主制は幕を閉じ、新しく憲法も制定されて立憲君主国となった。

その7年後の1939年にはシャム国から「タイ王国」と呼称を改め、現在に至っている

1851年 : モンクット(ラーマ4世)即位、幣制改革などを行う

1857年 : 外国銀貨を法貨に指定する

1860年 : 西洋式貨幣の製造発行を始める

1932年 : 絶対王政から立憲君主制に移行

1939年 : 国名を「シャム」から「タイ」に改める

以上 ロングステイ財団の資料より抜粋